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対話

カテゴリ: 教会とは?

どんなに素晴らしいメッセージ、ワーシップ、熱心な祈りがあっても、対話がなければ教会に生きた関係は決して築けないと思うのです。でも、みんなが集まる日曜日の教会のスケジュールの中でじっくりお互いの話しを聞く場面を作っていくことには限界があります。3人以上のグループになると、なかなか「対話」は難しくなってしまうからです。

日曜日の礼拝後、私たち夫婦は、順繰りに一人二人の方といっしょにお昼を食べながら近況を分かち合う時間を持つようにしています。お互いの日常を正直に分かち合っているだけで、心がつながる手ごたえを感じます。もちろんメッセージも一生懸命準備をして語りますが(笑)、ときに、語るよりも聞く方が、教えるよりも共に学ぶ方が、お互いを成長させるのではないかと思うのです。

これとは別に、一週間に一度、私、次男、介護の仕事をしている教会の青年、3人で分かち合いと祈りの時を持つようにしています。一時間ちょっとの短い時間ですが、日々のディボーション(祈りと聖書通読)を通して得たことの分かち合いをしています。失敗やいろいろな葛藤も正直に話して、励まし合っているのですが、これもなかな良いです。「主にある友人として、イエス様といっしょに人生を歩んで行こうね。」という感じです。

このようなグループは「アカウンタビリティグループ」と呼ばれますが、私たちの教会では、ご近所同士の主婦の方がお二人で始めたもう一つのグループがあります。日常の中に教会を建て上げていくためには、このような「交わり」がとても大切だと思うのです。二人でも三人でもイエス様のお名前によって集まり、そこに対話があり、祈りがあるならば、どこにでも教会が建てあげられていくと思うのです。
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Edit / 2014.12.05 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑

神の国を広げる

カテゴリ: 教会とは?

9年ほど前でしたが、、IFGFの友人カレブ牧師が、彼らのの5カ年計画(4カ年だったかな?)について話してくれたことがありました。その一つに、所属牧師の50%を20代にするという目標があり驚かされました。さらに驚かされたのは、当時、40代だったIFGF創設者のジミー・オエントロ牧師が代表から引退して、30代の牧師にトップの座を譲るというのです。40代と言えば一番充実した油の乗った働き盛りの世代です。「力のある時にこそ、次世代を育てるためにそのエネルギーを使うべきだ」と考えていたのではないでしょうか。世代交代を徹底し、それを自ら率先して行っていました。IFGFにはアポストリック・チームと呼ばれる長老格のカバーリングがあり、それが地域教会のリーダーシップを監督しています。引退後、オエントロ牧師は一旦そのアポストリック・チームの平メンバーに退いたのですが、重責を負った後任者の要請があり、現在はトップに復帰してます。「今期を持って代表職から退くので、後は自分たちでやりなさい」と宣言しているとのことです。

IFGFは1980年代アメリカに留学していたインドネシア人の学生たちのムーブメントから始まった比較的若い教会ですが、その後二十数年の間に急成長し、現在は世界各地に3000教会を抱えるまでに広がっています。教会成長というよりは、教会増殖と言った方が良いと思います。

IFGFにはいくつかの目だった特徴があります。一つは上に挙げた世代交代の速さです。「弟子つくり」という言葉は、何度も聞いて来ました。しかし、しばしば、その実践の中で「自立させる」「独立させる」「送り出す」という視点が欠けているように思うのです。これがないと、ゴールのない「弟子つくり」になってしまいます。また、いつまでも自分の下に置いたままでは新しい世代が育ちません。もちろんいっしょに留まって共に働く人々もいるでしょうが、教会は神の国を広げるために置かれているでのですから・・・。一つの教会にとって、働き人を送り出すことは確かに大きなチャレンジですが、送り出されるべき働き人を引き留めてしまっては教会の成長もとどめてしまうと思うのです。

IFGFのもう一つの特徴は、仕事を持っている牧師が半数近くを占めていることにあります。牧師になっても、簡単に仕事を辞めないようにと指導しています。二つの理由があると思います。一つは教会の経済的な負担を減らすためであり、もう一つは、仕事を通して伝道するためです。働きながら伝道する人を英語ではテントメーカー(天幕を作る人)と呼びますが、パウロがそうでしたね。

そして、IFGFのもう一つの特徴は、その教会のあり方が実に多様であるということです。彼らはジャカルタに数千人が集う大きな会堂を持っていますが、支部教会の多くは、ホテルやレストランを借り、また個人の家を開放し、そこに集まって礼拝を持ち、活動しています。そのやり方が実に柔軟なのです。

彼らとの交流を通して、いろいろと教えられ、またずいぶんと教会観が変えられました。

Edit / 2014.09.27 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑

カバーリング

カテゴリ: 教会とは?

行政機関の暴走に歯止めをかけるために、”中立的な立場”から監視する第三者機関の設置が検討されることがありますが、これがなかなか機能しません。ふたを開けてみたら、設立された第三者機関が中立ではなかったということが往々にしてあるからです。権力構造は水面下で利権でつながっており、あらゆる手段を講じて、自分たちの利権を侵害するものを排除しようとするからです。悲しいかなこれが世の中の現実です。

人間は個人であっても、組織であっても、監督の下に置かれることを本能的に嫌います。コントロールはしたいが、コントロールはされたくないというのが人間の本性だからです。幼い子供をみれば良く分かると思うのですが、人間は自我が芽生えた時から、自分の決定権、支配権を侵害されたくないのです。

教会も例外ではないと思うのです。一つ一つの教会が、できる限り独立性を保っていることが望ましいと、私は考えていますが、同時に、教会のリーダーシップがカバーリング(監督)の下に置かれていることが同じくらい大切だと思うのです。ただし、教会のカバーリングは監視のために設置される第三者機関のような冷たいものではありません。リーダーの弱さを知ったうえで、励まし、建て上げる父親的な存在が理想です。ちょうどテモテに対するパウロのような存在です。パウロはテモテの牧会する教会の様子、また彼の葛藤を手に取るように理解していました。これは、弟子のテモテと師であるパウロとの間にオープンで親密な関係があったことを示唆しています。パウロが霊的な父としてテモテに適切なアドバイスと励ましを与えることができたのはこの関係があったからです。パウロはその現場にはいませんでしたが、テモテとともに同じ教会を牧会していたのです。

教会の内情を知ってアドバイスをしてくれる人が教会の外に誰もいないというのは決して健全な姿ではないと思うのです。

Edit / 2014.09.21 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑

リーダーに求められるアカウンタビリティー

カテゴリ: 教会とは?

ニューホープ東京のタロ牧師と久しぶりにランチをいっしょにしました。タロ牧師とは彼がニューホープ東京を開拓する前からの友人ですが、今までゆっくり話しをする機会あまりなかったですね。

タロ牧師との会話の中で、何度か「アカウンタビリティー」という言葉が交わされたのですが、それは「牧師は教会の内外との関係の中でアカウンタビリティーが求められる」という文脈の中でのことです。アカウンタビリティーを日本語に直訳するならば「説明責任」ということになりますが、ニュアンスとしては、「隠し事のないオープンで正直な関係」に近い意味合いがあると思います。もっと噛み砕いた言い方をするなら「都合の悪いことがあってもそれを隠さない関係」と言ってもいいかもしれません。

なにも教会に限らず、家庭であれ、会社であれ、国家でれ、本当の意味で信頼関係を築こうとするならば、このアカウンタビリティーが求められてくると思うのです。正直な関係は、透明性がなければ築くことができません。夫婦関係を例にとって考えれば分かりやすいと思います。夫が妻に、妻が夫に対して、肝心な何かを隠しているならばどんなに表面的に言葉を交わしても決して親密な関係を築くことはできません。これは、クリスチャンと神さまとの関係にも当てはめて考えることができると思います。ヨハネの手紙第一1章がこのことを扱っています。

教会の健全性を保つことができるかどうかは、リーダーである牧師が、自分自身の私生活、家庭生活、牧会の状況を正直に分かち合える関係を教会の外に持っているかどうかに大きく依存しているの思うのです。カバーリングとなってくれる人、スーパーバイズ(監督)してくれる人、愛を持って助言してくれる人を進んで見つけ、そこにアカウンタビリティーのある関係を築くことなしに、教会を導いていくならば、どこかでバランスを失ってしまうと思うのです。簡単に言うならば、「なんでも正直に話せる何人かの友人や先輩を持っていますか?」ということです。

確かに信仰は一対一の関係の中で父なる神に信頼を置くことです。リーダーは真っ先に神との関係を求めて行かなければならないでしょう。しかし、横の関係が希薄であるなば、あるいは持とうとしないならば、それはすぐに霊的な孤立につながってしまうと思うのです。リーダーシップの多くの問題はこの孤立から生じてくるように感じます。

幸い、私は良い友人たちに恵まれ、そのことを神さまに感謝しています。先輩牧師である彼らから学ぶところは非常に多いです。愛を持って時には言いにくいことをアドバイスしてくれる人たちです。ときどき彼らを教会に招いては、教会の人々と同じテーブルで食事をし、交わりを持ってもらうようにしています。私の古い友人たちと、教会の人々が自由に話している姿をみることは楽しいことです。教会が内に対しても、外に対しても開かれた関係を持てるかどうかはリーダーの姿勢にかかっていると思います。

Edit / 2014.09.19 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑

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グレイスハウス [ 教会 ] のブログです。グレイスハウスは、府中市にある聖書を土台としたアットホームな教会です。

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