電子書籍 VS 紙の本
カテゴリ: ブログ
ちょっとは使ってみたもののなかなか馴染めず、そのうち Kindle君は引き出しの中で休眠状態に・・・。
「なじめない」というのは、一言で言うと「読んでいる実感が乏しい」ということです。
脳の使っている部分が決定的に違うのではないでしょうか・・・?
おそらく紙の本を読むときには(単に脳と目だけでなく)別な五感も動員しているのでは、というような気がします。
手で持ったときに感じる本の重みとか、読み進んで行く達成感だとか、
「だいたいこの辺に書いてあったかな」と、ページをめくる感覚とか、
本棚に並んでいる姿を見たときの所有感だとか・・・
そういったものを電子書籍は与えてくれないですよね。
ちょっと面白い記事を見つけました。
「電子書籍に移行することで失われる読書体験の中身が少し判明」
KindleやKoboといった電子書籍リーダーやタブレット・スマートフォンの普及により、以前は紙ベースでしかなかった読書スタイルの多様化が進んで います。従来の製本された書物を支持する層からは「紙と画面は別物だ」と指摘する意見を聞くこともありますが、そんな読書方法の違いによる差異を調査した 研究からは興味深い結果が浮き彫りになっています。 (リンク先からの抜粋)
通勤電車の中で使うとか、旅行に行くとき何冊か電子書籍を入れて持っていとか、
そんな遣い方が Kindle には向いているように思います。
Edit / 2015.06.24 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑
礼拝とは ー N.T.ライト著 「クリスチャンであるとは」 より
カテゴリ: 書籍
・・・真の神、創造者、購い主を礼拝するためのチャンス、
招き、召集が、私たちに差し出されている。
真の神を礼拝するとは、いっそう真の人間になるためなのである。
礼拝は、クリスチャン、クリスチャン生活のすべての中心にある。
神学(神がどのような方かを正確に考える試み)が重要である理由の一つは、
心を尽くし、思いを尽くし、たましいと力を尽くして神を愛することが
私たちに求められているからである。
だから、神はどのような方かを学ぶことが大切になる。
そうすれば、神を正しく褒め賛えることができるからだ。
N.T.ライト著 「クリスチャンであるとは」 より
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「クリスチャンであるとは」、やっと三分の二ほど読み終えました。
Edit / 2015.06.18 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑
LOVE
カテゴリ: ブログ
先日、お誘いを受けて、近くにある東京外国語大学で開催された英語の弁論大会を見に行きました。
いくつかの大学からノミネートされた9名の参加者が今回のテーマである「LOVE」愛についてスピーチしていました。
二人の学生さんが自分自身の経験した親子関係の葛藤を題材に「アダルトチルドレン」について語り、
別の学生さんは小さな時にお父さんを自殺でなくした痛みの中から「理解することの大切さ」について語っていました。
ちょうど自分の子どもたちと同じ年頃の青年たちでしたが、真剣に人生を模索している彼らを見て、若い世代を身近に感じた一日でした。
Edit / 2015.06.11 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑
救済(キュア)と配慮(ケア)
カテゴリ: 未分類
しかし、わたしたちに見えないこと、また、見たくないことは、
配慮(ケア)をし、痛みを共感し、苦しみを共に苦しみ、
そして、傷つき、打ちのめされることを共に味わうことです。
さらに言えば、愛の配慮(ケア)の伴わない救済(キュア)の技は、
冷たい心で与える贈り物のように、それを受け取る人の尊厳を損ないます。
(ヘンリ・ナウエン著「静まりから生まれるもの」より)
Edit / 2015.06.04 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑