対話
カテゴリ: 教会とは?
どんなに素晴らしいメッセージ、ワーシップ、熱心な祈りがあっても、対話がなければ教会に生きた関係は決して築けないと思うのです。でも、みんなが集まる日曜日の教会のスケジュールの中でじっくりお互いの話しを聞く場面を作っていくことには限界があります。3人以上のグループになると、なかなか「対話」は難しくなってしまうからです。
日曜日の礼拝後、私たち夫婦は、順繰りに一人二人の方といっしょにお昼を食べながら近況を分かち合う時間を持つようにしています。お互いの日常を正直に分かち合っているだけで、心がつながる手ごたえを感じます。もちろんメッセージも一生懸命準備をして語りますが(笑)、ときに、語るよりも聞く方が、教えるよりも共に学ぶ方が、お互いを成長させるのではないかと思うのです。
これとは別に、一週間に一度、私、次男、介護の仕事をしている教会の青年、3人で分かち合いと祈りの時を持つようにしています。一時間ちょっとの短い時間ですが、日々のディボーション(祈りと聖書通読)を通して得たことの分かち合いをしています。失敗やいろいろな葛藤も正直に話して、励まし合っているのですが、これもなかな良いです。「主にある友人として、イエス様といっしょに人生を歩んで行こうね。」という感じです。
このようなグループは「アカウンタビリティグループ」と呼ばれますが、私たちの教会では、ご近所同士の主婦の方がお二人で始めたもう一つのグループがあります。日常の中に教会を建て上げていくためには、このような「交わり」がとても大切だと思うのです。二人でも三人でもイエス様のお名前によって集まり、そこに対話があり、祈りがあるならば、どこにでも教会が建てあげられていくと思うのです。
日曜日の礼拝後、私たち夫婦は、順繰りに一人二人の方といっしょにお昼を食べながら近況を分かち合う時間を持つようにしています。お互いの日常を正直に分かち合っているだけで、心がつながる手ごたえを感じます。もちろんメッセージも一生懸命準備をして語りますが(笑)、ときに、語るよりも聞く方が、教えるよりも共に学ぶ方が、お互いを成長させるのではないかと思うのです。
これとは別に、一週間に一度、私、次男、介護の仕事をしている教会の青年、3人で分かち合いと祈りの時を持つようにしています。一時間ちょっとの短い時間ですが、日々のディボーション(祈りと聖書通読)を通して得たことの分かち合いをしています。失敗やいろいろな葛藤も正直に話して、励まし合っているのですが、これもなかな良いです。「主にある友人として、イエス様といっしょに人生を歩んで行こうね。」という感じです。
このようなグループは「アカウンタビリティグループ」と呼ばれますが、私たちの教会では、ご近所同士の主婦の方がお二人で始めたもう一つのグループがあります。日常の中に教会を建て上げていくためには、このような「交わり」がとても大切だと思うのです。二人でも三人でもイエス様のお名前によって集まり、そこに対話があり、祈りがあるならば、どこにでも教会が建てあげられていくと思うのです。
Edit / 2014.12.05 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑