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リーダーに求められるアカウンタビリティー

カテゴリ: 教会とは?

ニューホープ東京のタロ牧師と久しぶりにランチをいっしょにしました。タロ牧師とは彼がニューホープ東京を開拓する前からの友人ですが、今までゆっくり話しをする機会あまりなかったですね。

タロ牧師との会話の中で、何度か「アカウンタビリティー」という言葉が交わされたのですが、それは「牧師は教会の内外との関係の中でアカウンタビリティーが求められる」という文脈の中でのことです。アカウンタビリティーを日本語に直訳するならば「説明責任」ということになりますが、ニュアンスとしては、「隠し事のないオープンで正直な関係」に近い意味合いがあると思います。もっと噛み砕いた言い方をするなら「都合の悪いことがあってもそれを隠さない関係」と言ってもいいかもしれません。

なにも教会に限らず、家庭であれ、会社であれ、国家でれ、本当の意味で信頼関係を築こうとするならば、このアカウンタビリティーが求められてくると思うのです。正直な関係は、透明性がなければ築くことができません。夫婦関係を例にとって考えれば分かりやすいと思います。夫が妻に、妻が夫に対して、肝心な何かを隠しているならばどんなに表面的に言葉を交わしても決して親密な関係を築くことはできません。これは、クリスチャンと神さまとの関係にも当てはめて考えることができると思います。ヨハネの手紙第一1章がこのことを扱っています。

教会の健全性を保つことができるかどうかは、リーダーである牧師が、自分自身の私生活、家庭生活、牧会の状況を正直に分かち合える関係を教会の外に持っているかどうかに大きく依存しているの思うのです。カバーリングとなってくれる人、スーパーバイズ(監督)してくれる人、愛を持って助言してくれる人を進んで見つけ、そこにアカウンタビリティーのある関係を築くことなしに、教会を導いていくならば、どこかでバランスを失ってしまうと思うのです。簡単に言うならば、「なんでも正直に話せる何人かの友人や先輩を持っていますか?」ということです。

確かに信仰は一対一の関係の中で父なる神に信頼を置くことです。リーダーは真っ先に神との関係を求めて行かなければならないでしょう。しかし、横の関係が希薄であるなば、あるいは持とうとしないならば、それはすぐに霊的な孤立につながってしまうと思うのです。リーダーシップの多くの問題はこの孤立から生じてくるように感じます。

幸い、私は良い友人たちに恵まれ、そのことを神さまに感謝しています。先輩牧師である彼らから学ぶところは非常に多いです。愛を持って時には言いにくいことをアドバイスしてくれる人たちです。ときどき彼らを教会に招いては、教会の人々と同じテーブルで食事をし、交わりを持ってもらうようにしています。私の古い友人たちと、教会の人々が自由に話している姿をみることは楽しいことです。教会が内に対しても、外に対しても開かれた関係を持てるかどうかはリーダーの姿勢にかかっていると思います。

Edit / 2014.09.19 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑

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グレイスハウス [ 教会 ] のブログです。グレイスハウスは、府中市にある聖書を土台としたアットホームな教会です。

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