ビジョンスクール
カテゴリ: ブログ
私たち東京のグレイスハウスと十勝のゴスペルハウスの二つの教会が主催する恒例のユースキャンプです。
滞在期間中に三つの台風が私たちのいる十勝を訪れるとは夢にも思っていませんでしたが、予約した便をキャンセルすることもなく、感謝でした。
ときどき雨の合間をぬって、展望台に行ったり、雨の中を酪農をしている農場を訪れたりと、充実した時を過ごしました。
帰郷する最後の日はやっと北海道らしい青空が広がりました。
Edit / 2016.09.05 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑
お手伝い
カテゴリ: 書籍
実際は、ベッキーのお手伝いのおかげで、作業が大変になった。彼女の「お手伝い」がなければ、もっと短時間で階段を積むことができただろう。だがその日の終わりに彼が見たのは、新しい階段だけでなく、誇りと達成感ではち切れんばかりになっている娘の姿だった。「私とパパで階段を作ったのよ。」彼女は夕食のときに言った。彼はすぐにそのとおりだね。と言った。
(フィリップ・ヤンシー著 「祈り どんな意味があるのか」より)
Edit / 2016.08.29 / Comment: - / Trackback: - / PageTop↑
感謝
カテゴリ: 書籍
その次の夜、夫を脳腫瘍で亡くした若い未亡人が主催する会に主席した。彼女は、チャックの三十二回目の誕生日になるはずだったその夜、亡き夫の追悼式を開いたのである。私は、彼の手術後の長い闘病生活で二人がどのような苦しみを経験したかを知っていた。リンは夫の残された医療費を支払い、シングルマザーとして二人の子供を育てるという二重の重荷を担っていた。友人の差し迫った離婚のしらせに動揺したまま、私は悪い予感をもってリンの家に向かった。
その夜、私は不平や後悔を一言も聞かなかった。リンは写真を回して、私たちひとりひとりに夫の思い出を語った。私たちは笑い、そして泣いた。リンはギターを引っ張り出して、夫の大好きだった歌を何曲か歌った。彼女は、二人で過ごした楽しかった日々、夫のつまらないギャグ、夫の描いた漫画、病気が進行しているときも仲良くいっしょに歩いたことについて語った。「いつも彼を恋しく思うでしょう。」彼女は言った。「でも、二人で過ごした素晴らしい数年間を感謝すると思います。私にとってチャックは贈り物でした。」
この二夜に、私は人生に対する全く異なる二つのアプローチを見た。ひとつはないものを憤り、より多くを求めている。もうひとつはいのちを贈り物として、感謝とともに記憶すべきものとして祝福している。私はどのような環境にあっても、後者のような心をもつことができるよう神に祈っている。
(フリップ・ヤンシー著 「祈り どんな意味があるのか」より)
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ジョン・ベイリーの祈り
カテゴリ: 祈り
教えてください。
ああ、神様、今日の私の生活のあらゆる状況を用いてください。
罪の実でなく神聖な実を私の中に結ばせてください。
失望を用いさせてください、忍耐の材料として。
成功を用いさせてください、感謝の材料として。
困難を用いさせてください、粘り強さの材料として。
危険を用いさせてください、勇気の材料として。
叱責を用いさせてください、辛抱強さの材料として。
称賛を用いさせてください、謙遜の材料として。
喜びを用いさせてください、節度の材料として。
痛みを用いさせてください、我慢強さの材料として。
ジョン・ベイリー(スコットランドの神学者、教授 1986~1960)
(フィリップ・ヤンシー著 「祈り どんな意味があるのか」より)
Teach me, O God, so to use all the circumstances of my life today that they may bring forth in me the fruits of holiness rather than the fruits of sin.
Let me use disappointment as material for patience;
Let me use success as material for thankfulness;
Let me use suspense as material for perseverance;
Let me use danger as material for courage;
Let me use reproach as material for longsuffering;
Let me use praise as material for humility;
Let me use pleasures as material for temperance;
Let me use pains as material for endurance.
By John Baillie (Scottish theologian and professor 1886-1960)
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